春に入りたての今の時期、のどかな昼間の暖かさも夕刻には消えてしまう。
三寒四温の名の通り、寒の戻りに見舞われた日なら尚更だ。
吐く息こそ白く映ることはないが、俺の隣で首を竦めがちにしている
はやはり寒そうに見える。
以前から馴染みの酒屋に父の酒を買いに行くだけとはいえ、昼過ぎから俺の部屋にいたの身なりは軽い。
母から使いを頼まれた俺に付いて来ると言ってきかなかったが、駄目だと言い切れば良かっただろうか。
そう思う最中にも、まだ尖りの消えない風は強く吹き抜けていく。
「寒いのなら家に戻れ。」
ぎゅっと目を瞑って風の強さを遣り過そうとするに一瞥の後、少し声を強く話すと、隣で息を詰めて笑った気配がした。
「ううん、大丈夫。弦一郎の背中に隠れてるから。」
すぐ耳に届いたのは、高々小さな使いを楽しんでいる様子の嬉しそうな声。
その声に思う。
まただ、と。
幼少の頃から一緒に過すことの多かったが俺に付いて来るのはそれほど気にする事ではない。
が、最近なぜか、この弾んだ声はどうにも俺の気を削ぐ。
正確に言えば落ち着きを奪うという感じか。
「俺を風除けにするほど寒いのなら帰れと言っているんだ。」
内に覚える所在ない微かな苛立ちが図らずも更に口調を強くして。
「…弦一郎?」
一瞬間を取ったの、伺う気配の声に幾らか後悔しても、一度口にした言葉を覆す訳にはいかず、無言で足を速める。
後を追って同じように速くなる、歩幅の小さな足音。
パタパタと付いて来るその足音に安堵する心持ちになるのは、が萎れたのではないかと思ったからだが。
「あの、弦一郎、」
俺のコートの裾をきゅっと握ったにほっとするのはどうした訳だろうか?
やはり落ち着かない。
それがどこから来ているのか定かでないからこそ。
何も返さずにそのまま足をすすめれば、は仰ぐ姿勢で俺を覗き込んだ。
「…帰った方が良い?」
「寒いのならばそうしろ。」
不安を隠さないその声に、問いに、思わず息を漏らし小さくを振り返る。
と、視線のぶつかったの瞳が薄く曇った。
「甘酒をね…、一緒に飲みたかったの…。
酒屋さん、今の時期作ってるから…」
ちらちらと揺れる瞳には寂しげな色。
流石に泣くことはないだろうと思いながらも胸の奥は鈍く痛む。
「もう春だからそろそろ終っちゃうし。
次の冬まで飲めなくなっちゃう前に…って…。」
落としがちになった視線でどこを見るともなく呟いたに、また一つ深い嘆息が漏れた。
「それなら最初から言えばいいものを。」
その嘆息が誰に向けられたものか自分で判別出来なくとも。
「うん…そうなんだけど…。
ちょっと恥ずかしかったっていうか…。」
こんな風に他愛もないことを分け合うのは悪くないと。
ならば今はこれでいいのだろう───
被っていた帽子を取って、そっとに被せた。
「弦、一郎?」
「気休めにしかならないが、少しは風も除けられるだろう。」
帽子はの頭には明らかに大きいかったが、両手で端を持って小さく押し上げた彼女の、俺を仰ぎ見る顔に広がった満面の笑みが、それを喜んでいると伝える。
「ありがとうっ。」
明るさを取り戻した声にやれやれと胸を撫で下ろすのも、多分悪いことではない…
「こういうのを振り回されると言うのかも知れんな…。」
ぼやきに近い独白を、にこにこと笑うには聴かれないよう、極ちいさく呟いた。