「?」
視聴覚室の隅でひっそりと折り紙を折っていたら、不意に出入り口の方から伺う調子の声に呼ばれた。
耳慣れたこの声は、きっと間違えなく幼馴染みのもの。
顔を上げてそちらへ目を遣ると、やっぱりそこには国光の姿があって。
「何をしている?」
小さく微笑んで返した私の方へ足を向けながら、遠くても判る低音の声が訊く。
生徒会の会長をやっている彼だから、学園祭を間近に控えて校内の色々に気を配っているんだと思う。
「折り紙。ウチのクラス、折り紙の動物園を展示するから。」
「ああ、そうだったな。」
そう、なぜか折り紙の動物園。
今年の学園祭、私のクラスではそんな地味なものを展示することになった。
年度始めのクラス編成時に大半が女子になった外部受験希望の文系クラスなら、それも苦し紛れの選択だった訳で、男手が無い分妥当と言えばその通り。
でもって、学園祭に出す物だからと本格的に、且つ大きい規模で作ることになった折り紙は、動物だけでも約20種類、数にして80近く。
ペンギンエリアの氷の山や、フラミンゴとかの池なんかも作る予定でいたりする。
今月末の本番まで、分担した作業をみんな割と地道にやっている最近、それはもう毎日コツコツと、ある意味、来る受験勉強並みに。
しかも結構奥が深くて、ちょっと楽しい。
今日はその背景(?)を作るために教室へ木切れを持ち込んでいるから、折り紙組みの数人で視聴覚室を借りていたんだけど…。
「一人でやっていたのか?」
私の元まで来た彼は、私が一人なのを不思議に思ったらしく、訝しがる声を向けた。
「ううん、さっきまで何人かいたんだけど、みんな塾とか習い事とかで帰って。」
「そうか。確かに、2年になって塾通いで忙しいヤツも増えたな。」
「ね、早いよね。」
こんな話になると、時間の経過の早さを如実に感じる。
ずっと一緒の彼との時間も駆け足で過ぎたような。
そうしたら、この先はもっと早いのかな、って…。
なんとなく物寂しくなって、その空気を拭うようににっこり笑い、折っていた紙の象を彼に差し出す。
「今ね、象を折ってたの。ちゃんと象に見えるかな?」
「象?」
「うん、象。」
仰ぐ視界に映った眼鏡の奥の瞳が紙の象をじっと見て、おもむろに伸びた手で取り上げた。
「お前、こんな特技があったんだな。」
明らかに感心した様子で顔の近くまで上げたそれをくるくると裏表させる仕種はどことなく可笑しい。
それが結構珍しい光景なら、知らず知らず頬も緩む。
「うん、実は。…って言いたいところだけど、残念ながらちゃんと折り図があってね。」
「そうなのか。でもきれいに折れている。」
「んー、そうでもない…。
折り図は簡単に見えたんだけど、結構難しいのよ、これが。」
手元の折り図をひらりと上げて彼の前に出し、「この辺とか。」と、苦労した耳の辺りを指で示した。
実際、折り図で単純に見える象は、折ってみたら斜の折りが多くて大変だった。
3回目でやっと形になったから、折り皺が沢山出来てあまりパリッとしていない。
やっぱりもっときれいに折りたいのが正直なところで、これをあと5個も作るのはちょっと骨が折れそう。
「それで?象に見える?」
象に見えたら2個目に取り掛かろうと思って訊くと、国光は私を捉え直してうっすらと目元を緩めた。
「ああ、一見して象だと判る。」
「ほんと?よかったー。」
思った以上にストレートな肯定が嬉しかったのと、小さく頷いて微笑んだ国光の表情が殊の外和らいだように見えたのとで、なんだか頬のあたりにうずうずした感じを覚え、口の端を大きく上げて返したその時。
「あの、、」
出入り口の方から私を呼ぶ声が室内に響いた。
国光とほぼ同時にそちらへ向けば、委員会で一緒の町田くんが立っている。
去年同じクラスだった彼とはそれなりに話もしたし、今も廊下ですれ違ったりした時に軽く挨拶する。
でも、今日は慎重な気配を見せていて、何だろう?と、少し気になった。
委員会から何か急な連絡でも回って来たとか…?
「どうしたの?」
「うん、ちょっと大事な話があって、」
机の端に手を着いて、前へ乗り出し気味に返し。
町田くんはちらりと国光へ目を遣ってから私を捉え直して、その場で答える。
町田くんを捉えている国光も、多分彼の視線を感受したと思う。
そしてすぐ、案の定というか、国光はこちらへ顔を向けた。
「じゃあ、俺はこれで。紙で手を切らないように気をつけろよ。」
「あ、うん。ありがと。また。」
眼鏡の向こうで瞳が厳しくなったように感じたけれど、そのまま間を置かずに踵を返されて、ちゃんとは判らなかった。
出入り口へ歩いていく国光と。
その背中を少しだけ目で追って席を立ったのと同じタイミングで中に入って来た町田くんがすれ違う。
またちらりと国光を見遣る彼の空気はやっぱり慎重。
なんだか私までそうなって、こちらに来た彼を伺い。
「えっと、なんだった?」
「…さ、前に、手塚とはただの幼馴染みだって言ってたよな?」
…国光の話?…っていうか、前っていつ頃の事を言ってるんだろう…?
そんな事を言ったような気もするけど、だとしたらずっと前の話だと思う。
今はひっそり好きだったりするから…。
「ん……」
意図がはっきり見えない問いに少し困りながら声にすると、町田くんは「じゃあ、」と続けてから一呼吸切った。
「付き合って欲しい。ずっと前から好きだったんだ。」
一息で言い切った彼の言葉は全く予想していなかったもので、一瞬何を言われたのか飲み込めない程、きょとんとしてしまう。
「今は俺を何とも思ってないと思うけど、付き合っていく間に好きにしてみせるから。」
「……、」
とても真剣なその瞳と表情で、やっと頭の中に意味が入って来て、思わず声にならない困惑の声が漏れ。
「大切にするし。」
「あ…」
ぎゅっと手まで握られてしまったら、間の抜けた声しか出せなくても、それはもう仕方ないとしか言い様がない。
そんな私の胸中とは反対に、町田くんは手を放す気配すら見せず、じっと覗き込む。
「な?付き合ってよ。」
真摯な気持ちを見せてもらったことは嬉しい。
でも、当然応えられないし…。
「あの…、手を…」
「!」
放して。と言いかけて、いつも私の心にいる人の声が室内に響いた。
私も町田くんも弾かれて出入り口を見る。
そこには間違える筈のない声の主人、国光がいて。
今の状況を聴いていたのかいないのか分らないけれど、動きを止めた私たちに構わず彼は中に入って来る。
そして私の元まで来て、さっきの紙の象を右手に私の前へ差し出した。
「返し忘れてしまった。」
「…う、ん。」
至って普通に話す国光に取り敢えず答えたものの…。
気まずい。とても気まずい。
国光が何か意図しているとしても、気まずくない筈がない。
町田くんの顔色も、明らかに険しいものになった。
何を考えてるのか伺うように一度国光の目を見てから、それを受け取ろうとおずおず手を伸して握った後。
入れ替わりで国光の指が離れ、その手は下りずに───なぜか冬服の腕ごと私の腰に回った。
「…っ、くに、」
「町田、すまないな。」
咄嗟に振り仰ぎ、抗議とも驚嘆とも自分で判別できない声を発した私を余所に、腰を抱いた腕で包むように私の身体を抱き寄せた国光の声が町田くんへ向けられる。
真っ直ぐ前に投げられた瞳はさっき感じた厳しさを露にして、鋭さも強めている。
それは高圧的なぐらいに。
「は俺と付き合ってる。悪いが諦めてくれ。」
え…?
私たち、いつ付き合うことに…。
二人きりの時以外には苗字で呼ぶ彼が今、名前で呼んでくれたことや、嘘でもこんな一言が嬉しかったりするけど、この状況なら間違えなく助け舟的台詞な訳で…。
「くに、みつ…」
「お前もちゃんと言わないと駄目だろう。」
仰いだままの彼に、どうすればいいの…?と目で問えば、至極真面目な表情で見詰め返された。
一体どうしろっていうんだろう?
そんな問いにも、ある意味容赦なく。
その瞳はきっぱりと断りの言葉を促していて、ただ辿々しく視線を下ろすことしか出来なくなってしまう。
しかも左手をぽんと頭の上に乗せるなんて、追い討ちさながら。
だからどうしようもないまま、ぎくしゃくしながら町田くんへ顔を向ける。
「…町田、くん……」
「言わなくていいよ、分かったから。」
「……。」
迷わず言い切って振り切るように顔を背けた彼の足が一歩前に踏み出し、強い動きで横を通り過ぎていく。
途中、「ごめんなさい」と謝ったものの、なんだかとても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
それは、応えられなかったことの謝罪というより、こんな断わり方になってしまった事で良心の呵責が言わせた謝罪。
もう本当に、ごめんなさいとしか言えない。
国光はと言えば、通り過ぎていく町田くんを小さく目で追った後、微かに肩で息を落とし、それからやっと腕を解いた。
「断りの文句ぐらい、すぐに言えないのか?」
そして平然と、釣られるようにそっと息を吐いた私へそんな一言を言ってのける。
ちょっと憮然とした表情をしてはいるけど、この人の頭の中には迷うという言葉がないんだろうか?と思う程、さらりと。
「告白なんてそうそうある事じゃないもん…そんなにすぐ、するっと出てこないよ。」
「だとしても最初に謝罪ぐらい出来るだろう。」
「んー…」
なんだか先生に叱られているような気分になって、ゆるゆると視線を下げた。それに呼応するように、やれやれと言いたげな溜息を声にした国光は、そのまま踵を返す。
「あ、国光、」
まだ、一応のお礼を言っていなかったことに、その背中へと小さく声を向けた。
ゆるりと振り返った彼の、改めて合わせた間近な視線がちょっと痛い。
「えっと…、あの。助けてくれてありがとう…。」
なんとか口の端を上げて、お礼を告げて、その時。
不意に国光の顔が近付き、私の頬にその唇が落とされた。
掠めるように薄く、一瞬触れる。
そしてすぐに離れた後、不敵な笑みを微かに浮かべる国光。
状況が上手く飲み込めなくて目を開けたままの私は、ただ目をしばたたかせるしかできない。
まるで鳩が豆鉄砲的に。
そんな私をからかうように、彼は左手でぽんと軽く頭に触れ、また踵を返し直した。
ぼんやりと立ったまま見慣れた筈の制服姿の広い背中を見送って、今なにが起こったのか、懸命に考える。
でも、状況と考えが上手く繋がらない。
──今のはなに?
至極分かり切ったことさえ必死にならないと纏まらない今の私を、混乱しているって言うんだろう。
そう思ったら、なんだか急に悔しくなった。
「まるで勝ち逃げされたみたい…」
ひっそり呟いた言葉は私が国光に翻弄されている証拠だと思う。