Kinari

39℃+Hot chocolate

風邪を引いた。
今朝目が覚めたときヤケに体がだるくて熱くて、出社の用意をしなきゃとベットから立ち上がったら頭がクラクラ。そのまま後ろに倒れ込んだ。

熱を測ると39℃。

こんなに高いなんて思ってなかったから、思わず体温計を光りに翳して壊れていないか見てしまった。

やっぱり間違えなく39℃。

そりゃダメです。倒れる訳です。
今日は金曜日で、週明けに提出しなきゃいけないマネージメント資料の作成があるのに。
それでも熱には勝てなくて、結局おやすみをした私。
ベットの中で、今携わっているプロジェクトのこととか書類の山とか、普段うんざりするほど目にしている光景ややらなきゃいけないことを思う。
けれど、それより何より。

「国光…」

最愛の恋人の方がずっと風邪を追い払う効力を持っている気がして名前を呼んだ。
彼はとても多忙だし、仕事があるから本当に呼ぶ事は当たり前に出来ない。
だから名前だけ。
呼んだ名前にその姿を思い起こせばなんとなく、ほんとうに僅かだけど楽になったようで。
だからもう一度。

「国光…」

名前を呼ぶ。
今ここにはいなくても、大好きな最愛の人の。
こういう時、恋人の存在って大きい…と思う。

大きな手やなだらかな背中、切れ長の目元とか、似合い過ぎる眼鏡とか。

彼を想いながら、眠りに落ちていった。





しばらく眠って再度目覚めると、朝のままの感覚が体にずしりとのし掛かかった。
すこしは楽になっているかと思ったのに、全然変っていないらしい。

熱くて寒くて。
天井が回る。

ああ、もうお昼なんだ。
熱、どれくらいあるのかな…。
お薬飲まなきゃ…。

熱くて寒くて。
節々が軋む。

疲れがたまると時々熱を出したりするけど、今回はちょっとシンドイ。
悲しくなるのと心細さで熱に熱くなった息がちいさく零れた。

こんな時はホットチョコレートが一番。

以前風邪を引いた時、国光が作ってくれたホットチョコレート。

彼はコーヒーもブラックだし、口にする甘いものと言ったら水菓子くらいで、職場でもらうバレンタインのチョコを全部私に渡すくらいお砂糖関係に疎遠。
でもあの時、やっぱり熱で動けなかった私を気遣って。
何か欲しいものは?と聞かれて答えたホットチョコレートを、チョコが苦手なはずなのに彼は作ってくれた。
ちゃんと味見までして。

それはほんとうに美味しくて甘くて。
そしてとても温かかった。

あの時すぐに元気になったもの。
きっと今回も元気にしてくれるわ。

のろのろとベットから這い出してキッチンに立った。

ミルクパンに目分量でミルクを入れてコンロを捻る。
普段作る時はちゃんと測るけど、今はそこまでしていられない。
何かあったらと買い置きしておいたインスタントのスティックをマグに入れながら、前、彼に作って貰った時のことを思い出して笑みがこぼれる。
またすこしだけ。
楽になった気がした。

泡立つミルクをたっぷりと注いで。
広がった甘い匂いを、マグの縁で確かめる。

そう、この匂い。
甘くて温かくて優しい匂い。
部屋に戻らず、その場でマグを口元へ寄せた。

「あれ…?」

ひとくち飲んだそれは、あの時の、記憶に残る味とちょっと違う。
熱のせいで味覚がおかしくなっているからなのか、インスタントだからなのか分からないけれど、違うことは確か。

「お砂糖、足りない?」

砂糖を入れて、またひとくち。

「うーん…」

もうちょっと素朴な味…だったかな…。
素朴と言えば、家にあるのはハチミツとかメープルシロップとか。
まずはハチミツから入れてみる。

「なにか違うのよね…。」

今度はメープルシロップ。

「…かえって変な味になっちゃった…。」

飲めない訳じゃないそれを見詰めて、くすんと声が漏れた。

国光が作ってくれたホットチョコレートなら、こんな風に悲しくなったりしないのに。

どんどん心細くなっていく。

熱くて寒くて。
ずっとキッチンにいたから、また熱が上がってきたのかも知れない。

仕方なく、失敗したホットチョコレートを手に、部屋へ戻ろうとした時、玄関の鍵を開ける音がした。

え…?何?

平日の今日、当然来客の予定はないし(来客ならまずチャイムでしよう。)、親に電話もしていないからウチを訊ねてくる人に心当たりなんてない。

ひょっとして…ドロボウ!?

タチの悪い空き巣も多いらしいし、最近は正面から鍵を開けて入って来るなんて話も聞く。
よりによってウチに、しかもこんな風邪の時に。
持っていたマグをぎゅっと握ってじっと玄関を見据えた。
直後、ガチャッとドアを開ける音が勢い良く響く。

!」

「え…」

身構えるより先に、現れた人の姿に目を見開いた。
ドロボウなんかじゃなく、玄関を開けたのは愛しい恋人。

「国光…どうして…?」
「どうしてじゃなくて。具合はどうなんだ。」
「あ、うん…大丈夫…」
「大丈夫じゃないだろう?顔が赤い。医者じゃなくても熱が高いと分かるぞ。」

大きな手が腕に掛かって、抱えるように肩を抱く。

「今日はゆっくり休め。俺が付いてるから。」

マグをするりと取ると、国光はそのまま私を抱き上げた。

「え、あ…歩けるから。」
「こういう時くらい甘えろ。」
「…うん。」

嬉しくて、安心して、もう全快したような気持ちになる私は、きっととても現金なんだと思う。
でも皆きっと、大好きな人に抱き上げられたら風邪なんか治った気になっちゃうはず。
それに、付いてるからなんて言われたら尚更。
きゅっと彼の首にしがみついた。



「ねぇ、国光。どうして家にいるって、風邪引いたって分かったの?」

ふわり横たえられたベットで、首と肩に隙間が出来ないよう布団で埋めていく国光に聞く。

「メールの返信もないし電話にも出なかったからな。
もしかしてと思って、会社に連絡してみたんだ。」
「そうだったの…。ごめんなさい、心配掛けちゃって。仕事は?」

すまなさそうに眉を寄せて聞くと、早退したと答える彼。

「早退までさせちゃったなんて…。」
「言っただろう。こういう時くらい甘えろと。一度ぐっすり眠るといい。」

優し気に目元を緩め、国光はゆっくりと私の頭を撫でた。
その表情に、さっきのホットチョコレートに何が足りなかったのか、なんとなく分かった気がした。

「ええ、そうさせてもらうわ。それでね、国光…、」
「ホットチョコレートだろう?」
「そうなの。お願いしてもいい?」
「ああ、起きたら作ろう。」

そう言って、そっと頬に触れる掌に、この人を愛して良かったと心から思った。

「国光、大好きよ。」

ずっとずっと、これから先も。
彼の作ったホットチョコレートを飲ませてもらえますように。