Kinari

今の君は、何億光年先も。

「何を読んでるんだ?」


不意を突いて頭上高く背後から下りてきた声に内心慌てて。
でも気付かれないようにそっと、パラパラとページをめくる。

「国光、驚かせないでー。」

お昼のちょっと長い放課には、その時間だけ開放される屋上で日向ぼっこよろしく過ごすのが私のお約束なんだけれど、今日はたまたまいつも一緒の友人がいなくて1人でお弁当を広げた後、まだ決めることができない彼へのプレゼントを思案していた。
そしてその対象はこの人、ハンカチを広げて座っている私の隣にゆるりと腰を下ろす、国光。

「大して驚いているようには見えないが?」
「そんなことないわよ?心臓が止まるかと思ったわ。」

お互いごく僅か、クスリと笑いながら。
軽い言葉遊びを楽しんで。

普段あまり喜怒哀楽を表情にしない彼と、こんな風に笑顔を交わすようになったことを何より嬉しく思うから。
やっぱり、うんと特別なものを贈りたい。

そうやって悩んで、もう1ヶ月近く…。
まだ決まらない理由は幾つもあって、このまま当日を迎えてしまいそうな気配に、とうとう学校にまでプレゼント特集が載っている雑誌なんかを持ってきてしまった。
気付かれないようにするには家で考えるのが一番だと分かっていたけれど。

さりげなくページをめくって“カレに喜んでもらえるプレゼント”のところから辿り着いた、好きな絵本作家さんのインタビューに目を落とす。

「その人、最近良く目にするな。」
「そうね。今、人気高いみたい。私も大好き。」

雑誌を覗こうとはせず、ページへ小さく視線を落とした国光の、そのままこちらを見ずに言った言葉が何も察していないことを教えてくれて、一安心の気持ちで答えたら。

「どんな作品を?」

興味を惹かれたらしい彼は、じっとそのページへ眼鏡ごと瞳を凝らした。

似合わないと言う訳ではないけれど、大人びた印象の彼に絵本という取り合わせは何だか不思議。
彼がこういう物にも興味を示すなんて、きっと同じテニス部でも不二君や乾君は知らないと思う。
私だけに見せてくれたのかも知れない…と思えば、とても嬉しくなって、膝に置いていた雑誌を彼の前に差し出す。

「可愛くて心暖まるお話が多いの。
 主人公のウサギが友達の誕生日プレゼントに星を取ろうとするお話とか、どれも読み終わった後に気持ちがほっこりするようなお話ばかりよ。」
「そのウサギは星を取ったのか?」

何か琴線に触れた様子でインタビューを読む国光がちょっと可愛らしく見えて。

「それは読んでからのお楽しみ。」

少しだけ意地悪をして、答えを濁してみる。
そんな小さな、意地悪にもならない意地悪に、彼はきっと大袈裟な反応をしないだろうけど。

案の定、ふっ、と顔をあげて私を見た国光は眼鏡越しの瞳をうっすら伏せる動作を介して、微かに目元を緩めた。

「じゃあ、その絵本を誕生日に。」
「え…?」
「このページを見る前、そういう記事を見ていただろう?」

それは不意打ちと言わなければ他に適切な表現なんてない、文字通りの奇襲。

「見てたの!?」

思わず高くなった声を気にする余裕もなく、困り顔そのままに眉根を寄せる。

もう泣きそう。
内緒で決めて当日驚かせようと思っていたのに。

ほんの小さな意地悪が何倍も大きくなって返ってきたような気持ちになって、ゆるゆると落ちていく視線の先に上手く焦点を結べない。

、」
「……」
「すまない、揶揄したい訳じゃないんだ。」

心配そうに、申し訳なさそうに、眉を内に寄せて覗き込むように私を宥める国光の声も、どこか朧げ。
彼に悪気があった訳じゃないことを、むしろ彼なりの気遣いだと分かっているから余計に、気持ちはキュッと固くなってしまう。
落とした視線のまま、私はただ僅かに顔を上下させる。

「うん、大丈夫。分かってるわ。」


───もっと別の、彼の思いもよらないものを探さなきゃ…。

気遣う声で名前を呼ぶ彼を、すっ、と正面に捉えると、レンズの向こうでやっぱり気に病んだ表情の瞳が少し揺らいで。
周りには殆ど分からない微かな表情の変化も、私だけに見せてくれる貴方の大切な欠片だと思えば、ココで落ち込んでる訳にはいかない。

───まだ時間はあるもの。

勿論、そんな顔をさせてしまった事もイヤだったし。
にっこり笑って彼に少しだけ顔を寄せた。

「とびきり喜んでもらえるものを贈るからね。」

───そう、かけがえのない貴方の、特別喜ぶ顔が見たいから。
   とびきり特別なものを探そう。









家に帰ってからぼんやりと、思い巡らす。
国光に何を贈れば良いか、を。

とびきり喜んでもらえるものを…なんて言ったけど、正直、アタリもつけられない手探りの状態。

国光にとって、特別なもの…。

そう考えると、やっぱり思い浮かべるのはテニスに関係する何かで。
でも私、彼の試合を見に行ったりすることはあっても、テニスの事を良く知らない。
知らないながら、例えばラケットとかシューズとか、そういう物は簡単に贈ったり出来ないことくらい分かるし、じゃあボールとかリストバンドとか、その手の消耗品だと、今度は特別感に欠ける。

しっぽさえ掴めなそうにない最良のプレゼントに、ほぅ…と、ひとつ、小さな息が漏れた。

「何がいいのかな…」

そんな呟きも、どことなく気弱。

去年はこうやって悩むのも楽しかった。
それが、今年こんなにシリアスなのは、もしかしたら、去年よりももっともっと国光を大切に思っている証拠なのかも知れないけど。
いずれにせよ、少し、気持ちも頭の固くなっているのは確か。

どうやら一度、気持ちをリセットした方が良い気がする。
全く違うことを考えてる時にふっと浮かんで来るなんてこともあるし。
そして、そういえば…と、お昼に国光と話した絵本のことを思い出した。

絵の可愛さも優しいお話も、大好きなあの絵本。

ちょっと振りに本棚から取り出して。
星のちりばめられた青い正方形の表紙に描かれている小さなウサギ、主人公のうーちゃんが、星を取ろうと精一杯背伸をびして帚を天に向けている絵を眺める。
優しいお話にぴったりのその絵は、柔らかで淡くて、でも凛としていて、見ているだけで少し元気になれそうだった。

ゆっくりとページを繰って読み進めれば、やっぱり心は暖かくなっていく。
頬を緩めながら最後のページまで目を通したところで、なぜかふと、この絵本が自分に重なった。

友達のために星を取ろうと頑張ったけれど、取れなくて泣いてしまったうーちゃん。
けれど、お母さんに『お星様は取れなかったけれど、うーちゃんはとても大切なものを見つけたのよ。』と言われて、自分がしたことは無駄じゃなかったんだと気付いたうーちゃん。

そんなうーちゃんに自分が重なったのは、きっと、大切な人のために何かしたいという気持ちを感じたから。

何か大事なことを、うーちゃんから貰った気がした。

───そうだ、星を贈ろう。

うん、見える物じゃなくたっていい。
気持ちや時間、思い出だって、ちゃんと贈り物になるもの。

───取れなかったうーちゃんと一緒に、国光へ星をプレゼントしよう!

パタリと本を閉じて、友達と手を繋いだ裏表紙のうーちゃんに、「ありがとう」と微笑む。
開けた窓から入る風の、少しひんやりした秋の深まりを感じながら、別の学校の友達で天文部の子の携帯番号を呼び出した。










前の週の崩れ気味な天候に少しハラハラしたけれど、今日は晴れて。
“雲一つない”とはいかないまでも、まずまずの星空。

国光と待ち合わせた、彼の家の近くの公園にある小高い丘で、彼が来るのを待ちつつ、秋の、少し冴えて見える空を仰ぐ。
天の頂き程近くには、つるりとした円を描いた月。
星と薄雲を従えた月の、青白く綺麗な静々とした光りに、まるで国光の誕生日を一緒にお祝いしてくれているようだなんて思う。

──これならきっと良いバースデイ・イブになるわ。

今日のお昼休み、ここで夜の11時半に待ち合わせたいと話したら、彼は少し訝しげに「なぜだ?」と聞いた。
そんな夜遅くに女性が出歩くものじゃない。と、お約束のように眉を潜めて。
けれど、どうしてもお願いした私に、仕方ないといった様子で息を詰めた彼は、『まったく…何か考えてるんだろう?』と微かに笑った。
その、小さくてもはっきり見せてくれた笑顔が、私には何より嬉しいから──

早く、早く来て。
今日は貴方のために用意した、沢山の“特別”があるのよ?

少し頑張って作ったスコーンとポットに入れたコーヒー、絵本。
そして、さっき組み立てた終った天体望遠鏡。

全部全部、大好きな貴方への贈り物。

そわそわする気持ちを抑えられなくて、公園に続く道の先を、うんと首を伸して伺うと、程なくして少し先の電灯が長身の彼の姿を照らし出した。
電灯の横にある時計の針は、約束の5分前を。
これから一緒に過ごす時間を思って、鼓動はオートスタートさながらに走り出す。
すぐに駆け出したい気持ちを抑えて手をふわふわと振ったら、国光はそれを合図にするように足を速めた。

「遅れてしまったか?」

気遣いがちに私を見る彼の額には、うっすらと汗が滲んでいる。
どうやら急いで来てくれたみたい。

「ううん、まだ11時25分。大丈夫よ。」
、それ…」

微笑んで答えた私を飛び越え、後ろにある物へ瞳を凝らした彼の唇は、その先の言葉を声にしなくて。
代わりに、再度私を見た、説明を求める目に、滅多に見せないはっきりとした驚きの色を浮かべていた。
そんな風に驚いてくれたことが、そんな表情を見せてくれたことが、本当に嬉しい。
嬉しくてドキドキして、自然と頬は大きく緩む。

「うん、天体望遠鏡。」
「ああ、それは分かるが…なぜそんな物を?」
「星をね、」
「星?」

幾らか不思議そうに聞いた国光の手をそっと取って望遠鏡まで歩き。

「星を贈ろうと思って。時計が12時を指したら貴方の誕生日だから。」

にっこりと彼を仰いだ。
仰いだその表情が、どうか彼にとっての精一杯の笑顔に変わってくれるように願いながら。
そんな私を、国光はじっと見詰め返す。
けれど、願ったように、笑顔を見せてはくれなかった。
それどころか、指の先さえ動く気配を感じない。
ただ、普段は眼光鋭利な瞳だけが、その鋭さをどれだけか解き、漆器のような色をより深くして揺らいでいる。

きっと喜んでくれると思っていたけど…それはただの思い込みだった…?

「国光…あの…」

辛うじて発した声を次に繋げようとしても、続く言葉が見つけられない。
沸き上がった、恋人だからという“奢り”の文字が一瞬にして心を暗転させて、途切れた声のまま彼を見詰め、胸の前に手を緩く握る。
まるで、懇願するような意識と姿勢で見詰めたその唇は、本当に微か、動いたけれど…。
彼が何か言おうとしていることは察したものの、言葉を探しているように感じられるその後の沈黙に、視線と気持ちはずっと落ちていく。

「私、勝手に…ごめん…な、…」

最後まで言えなかった謝罪の言葉も、言い直す余裕はなかった。
鼻の奥に違和感を覚える。それは涙のサイン。

…零れてしまいそう。
でも、ここで泣いたら、ここで泣いてしまったら、きっともっと、国光は私をズルい女だと思うわ。

下を向いたまま、耐えようとキュッと唇を噛んだ。
直後、視界の端を彼の左手が、すぅっと横切って。

「違うんだ、。」

張りのある、包むようなトーンの声と一緒に、そっと私の肩に触れた。
その手も声も、柔らかく優しく。
不意を突かれた訳でもないのに、弾かれたように思わず顔をあげる。
振り仰いだ国光は、瞳を揺らめかせて真っ直ぐに私を見詰めていた。


「嬉しさで声にならなかった。」


それは、私の一番聞きたかった言葉で。
そんな、この上なく嬉しい言葉に、今度は私が言葉を忘れる。
何よりも彼なりの気持ちを見せてくれたことが嬉しかった。
あまり感情を表に出さない彼が、こんな風に私にだけ、心の中を見せてくれたことが。

その、はにかんだ表情も言葉も、私が望んだ“特別”だから。

「さっきピントを合わせたから綺麗に見えると思う。覗いてみて?」

悲しくて零れそうだった涙が真逆の感情で溢れ出そうとするのを押し戻すように、いっぱいの笑顔を国光に向ける。
私の肩に触れていた手をゆるりと降ろした彼は、少し背を屈めてレンズを覗き込んだ。
カツリ、と小さく。
特別な数時間の始まりを告げるように、レンズの縁に眼鏡のあたった音がする。

「オリオンの三連星と赤いペテルギウスが見える。…その下に…一際白い…、シリウスか。こんなに明るいんだな。」
「本当に全天一の輝星よね。」
「ペテルギウスの左上に見える明るい星は…、こいぬ座のプロキオンだな。」
「あ、冬の大三角形。」
「ああ、秋の大四辺形も探してみよう。」

鏡筒を少し動かして、今の時期だと深夜には空の中央に昇るペガスス座の方に、国光がゆるりと向きを変えた時。
唐突に、ジーンズの後ろのポケットに入れていた携帯が震えた。

それは、深夜0時になって、日付けが7日になった合図。

ちゃんとその時間に気付くようにと予めセットしていたアラームは、しっかりそれを教えてくれて。
お陰で機を逃さず一番最初に言えそう。

そっと鞄からラッピングした絵本を取り出して、後ろ手に持ち。
秋の大四辺形を探そうとレンズを覗いていてる国光の肩に手を置いて、その耳元に、幾らか背伸びをして唇を寄せる。

「お誕生日おめでとう。これからもずっと大好きよ。」

小さく囁いたお祝の言葉を、国光がしっかり受け取ってくれますように───

その気持ちを知らないながら、国光は覗いていたレンズからふっと目を離し、こちらを見た。
最初は不意を突かれた表情で。
その後に、滅多に見せない、ちょっとくすぐったそうな微かな笑顔で。

「…ありがとう、。」


きっと同じようには返してくれないだろうと思っていたから、勿論想定内の答えだったけれど、彼の唇がまた、何かの言葉を探すように小さく動こうとしたのを見て、少しだけ期待してしまった。
それでも、もう私には充分だったから。

「これね、前に話した星を取ろうとしたウサギの絵本。これにはしないって言ったけど…この本が国光に星を贈ることを思い付かせてくれたの。だから、国光も持っていてくれたら良いな…と思って。」

ス…っと、リボンの付いた正方形の絵本を彼の前に差し出した。
国光が喜ぶものでもないし、彼にはもっと別の物が良かったかも知れないけど、やっぱり持っていて欲しい理由は、探す必要もないほど簡単。
そして国光もきっと、特別な日をこうやって一緒に、特別に過ごすという思い出を、ちゃんと大切にしてくれると思う。

その大切な思い出を、私達に贈ってくれた絵本だもの。

「リクエストも聞かずにごめんなさい。でもきっと───ッ!?」

話そうとした言葉を最後まで言い切る前に、声が喉の奥に戻ってしまったのは、彼に抱き締められたせい。
あまりに急なその腕に、一瞬何が起こったのか分からなくて、まばたきを忘れてしまうほど。
背中に回った腕の強さを感じてはじめて、抱き締められたことを理解した。

「クニ…ミ、ツ…?」
「今日が今までの中で最高の誕生日だ。」

髪を伝う彼の唇。
動きと耳に注がれた甘い声、言葉。
抱き締められたしなやかな腕が、私を甘く満たしていく。

絵本を手に持ったまま、睫毛を伏せてその首に腕を回した。