Kinari

探る指と語る目の接点

いつも思うことだけど、この人の指って、どうしてこんなに無駄がないんだろう?

月並みな言葉だと“綺麗”だとか“しなやか”だとか、そんな形容が浮かぶ彼の指。
でもこうやってさらさらとペンを動かすトコロを間近に見れば、もっと違う印象を抱く。
それなら、どんな言葉がぴったりなのかな。

たとえば───

、」

その指に気を取られていたせいで、唐突に耳に滑り込んだ声に一瞬心臓はドキッと大きな音を立てる。
小さく上げた視線で目の前を伺うと、じっと私を見る柳と目が合って。

「はい?」

恥ずかしさとバツの悪さに慌ててにっこり微笑んだら、薄く口角を上げた彼は目線で私の手を示した。

「さっきから手が動いていないようだが、分からないところでもあったのか?」

手を動かしていないことを軽くたしなめるように、けれどとても穏やかに話す柳の口調に、また跳ねる私の心臓。

でもそれは、ある意味で不謹慎な気がする…。

テスト週間で全ての部活が休みの今日、以前から見てもらうことをお願いしていた古文の自習で図書館へ来たなら、ちゃんと勉強するのが筋だし、その指に気を取られていたなんて、ましてや声とか表情とか、そんなトコロにまで反応したなんて、なんだか少しうしろめたい。

だから内心、不真面目でゴメンナサイ…なんて呟きながら。

「ううん、大丈夫。」

首を横に振って返す。と、柳はうっすらと睫を伏せて手元のチャートへ目を落とし直した。

普段から彼の表情の変化も、声に見せる感情の起伏も、あまり分かり易いとは言えない微かなものだけど。
ずっと見ていれば、大体分かるようになってきた最近。

今の動きに無言の了承を感じて嬉しくなる私は、きっと単純なんだと思う。

それでも、この気持ちの温度を心地よく思うことに変わりはない訳だし。
こうやって僅かなことでも喜べるなら、それは幸せな証拠で。

心苦しくてもやっぱり目を奪われてしまうその指に、彼には分からないよう目を伏せて微笑む。

天辺が狭くなった視界の中心に見る指はさっきと同じように淀みなくペンを動かしていて、その動き自体に無駄のないことを思うと、どうしたって視線を預けっきりにしてしまう。
多分、こういうことを見蕩れるって言うんだろう。

それにしても思うのは、この指を表わすにはどんな言葉なら適うかということ。

“端麗”…?
それは綺麗と同じよね…。
じゃあ“軽妙”とか?
すっきりした感じはアタリだけど、もうちょっと重みがあるかな…。

なんだろう?
その指に、ううん、柳にぴったりの言葉。

なんて考えながら見詰める指が不意に動きを止めてペンを置き、すっと上がった。

───あ…

思わずその軌道を追うように顔を上げたら、机の端に肘をついた柳は緩く握った手を口元に寄せる恰好で私を見て。

「ちゃんと顔を上げてもらうにはこうするしかなさそうだな。」

まるで私の心中を具に取り上げたような一言を口にした。
その、酷と言ってもいい言葉に、意識は即時に白く塗り変わる。

「え!?あの、」

どうしよう、以前から、見ていたって気付いてた?

一瞬にして全部が狼狽の色一色になった私には、出した声の続きを口にする言葉なんて一言だって残されていない。
ただ落ち着きなくしばたたき、困った顔をすることしか出来なくて。

だってそれは、好きだって事に気付かれたのと同じだから…。

何をどう話せばいいか、どう言葉を継げばいいか分からないまま。
それでも何か言わなきゃと。

「指は口ほどにものを言う…って言うでしょう?
 だからつい…えっと…」

曖昧に笑って咄嗟に口走ったのは、訳もなく、意味不明な事。

もう、自分がイヤになる。
いくら焦っていたからって、一体何を言ってるの?何が言いたいの?

殆ど泣きそうな気持ちで目線を落とし緩く下唇を噛んだら、柳の、声を詰めて笑った気配がした。

「それをいうなら“目”だな。
 更に、その言葉をそのままに返そう。」

あまりに優しげな声に弾かれて顔を上げれば、楽しそうにひときわ目を細くする柳が映る。

「以前から気付いてはいたが、さっきのように
 あれだけしっかり目を遣っていたら誰でも分かるぞ?
 もっとも、誰にでもあんな視線を向けられては困るが。」
「え…?」

一瞬、彼が何を言ったのか理解できなかった。
曲解すると、ううん、しなくても、それは少なからず私に好意を持っているように聞こえる。
でも、普段の彼からそんな素振りは少しも感じなかったし、私の一方通行だと思っていたから…。
なんだか混乱して、さっき以上にぱちぱちと目をしばたたく私。

「もう一度、分かり易く言ってくれると助かるかも…。」
「これ以上噛み砕いて話せと言うのか?
 どうやら古文だけでなく現国も見たほうが良いようだな。」

やれやれと言った面持ちで、けれど笑顔を崩さない柳に、そんな彼を見るのがはじめてならその笑顔がどれだけ特別なのかを知った。
柳と同じクラスになった1年の春からずっと、ひっそりあたためて来た気持ちを掬い上げてもらった嬉しさは本当に格別で、心もしっとりと温かくなっていく。

「とっても嬉しいけど、古文と現国だけ?」

この上なく幸せな気持ちを乗せて口の端を大きく上げたら、彼は大きな笑顔を柔らかい微笑みに変えて。

「そうだな、“全部”か。」
「ええ、よろしくお願いします、柳先生。」

お互いどちらからともなく、そっと手を繋ぐように握手した。